ベトナム

ベトナムに関する3つの違った話題にふれたい。

1つ目。
東京大学教養学部の学部報の記事を読んでベトナムの漢字文化事情を知った。
ベトナムではかつて漢字が使用され,日本の万葉仮名に似たチューノム(字喃)という文字も存在したという。19世紀後半のフランスの植民地支配とともにベトナム語のローマ字表記が普及しはじめ,さらに20世紀になって漢字の知識が必要なチューノムよりもローマ字表記法の方が一般大衆に普及しやすいということになった。
現代のベトナムの大衆は漢字の知識を持たないが,ドイモイという改革を背景に「伝統への回帰」という風潮が強まり,漢字教育再開論が最近提唱されているそうである。
今学期履修した「日本語日本文学」は漢字文化圏で共有される教養という視点で古典日本語と日本文学を見ていったのだが,その講義をビデオに録画しハノイ大学に送るという話であった。なぜベトナムなのか?と疑問に思っていたが,上述のような漢字教育復活のの動きとも大きく関係しているのかもしれない。

2つ目。
本日まで岩波ホールで上映されていたベトナム戦争の被害を扱った映画「花はどこへ行った」を見てきた。
米軍が散布した枯葉剤に含まれていたダイオキシンは戦時中に枯葉剤を浴びた住民や兵士だけでなく子にも大きな被害をもたらしている。
多くの奇形児が生まれ,貧しいながらも子を愛し育てる姿があった。ベトナム戦争は過去の話ではない。今も続いている。アメリカ政府が未だに加害者としての責任を認めていないこと,戦後生まれた人々にもさまざまな障害を負わせていること,未だにベトナムの土壌はダイオキシンに汚染されていること。
そしてこれはどうやら他人事ではないようだ。まだ他の情報源で確認したわけではないが,映画のパンフレットに書かれている中村梧郎氏の文章によれば,ゴミの焼却によって発生するダイオキシンは高温焼却によっていったんは分解されるもののガスが煙突へと向かう過程で再合成され,時間の経過とともに川や海を汚染するという。同文章では日本の沿岸魚に含まれるダイオキシンの平均量が米環境保護局が出している警告地を超えているということまで述べられている。

3つめ。今年の国際物理オリンピックベトナムで開催される。今春の代表選考合宿に顔を出したので代表選手はみな知っている。一人は自分と一緒に一昨年のシンガポール大会に行った。物理の問題を解く訓練は十分になされていることだろうと思う。それでベトナムに行ったら物理のことは忘れてベトナムという国にに浸ってきてほしい。おそらくベトナムのありのままを体験することはできないかもしれない。それでもただ観光ただ交流,というのではなく歴史や文化から学び考える機会となればいい。そしてこれはこれから自分がしていかなければならないことでもある。

日本にいても様々な媒体から思っている以上のことを学ぶことができる。考えることができる。そして外に出よう。外界と自己のやり取りのプロセスを通じて自己は形成されるのだから…