水路の流れのように

4月の初め長野に行ったとき,水路を流れる水の量が強くなったり弱くなったりするのを見て不思議に思った。原因を探るべく上を目指したがどこまで行ってもきりがなくあきらめた。周期的という訳でもない。人為的な要素がないとすれば(20−30分観察していて―周期的という訳ではなく―同じような眺めが繰り返されたことを考えると僕には"自然の"現象に思えるのだが),おそらくは交通渋滞や電車・バスの混雑と似たことが起きているのだと思う。傾斜や水路の状態が違うことにより水量に偏りができているのではないか。もっとも確信はない。

もっと素朴な疑問は上のように大量の水が流れるのではなく,水がちょろちょろと斜面を流れる場合,水流の速さは一定のように見える。斜面をボールが転がるのとは大きな違いだ。空気抵抗のせいで終端速度に達しているのだという人もいるかもしれないがそれは自明ではないと思う。どう見ても真正面から空気抵抗がかかっているようには見えない。流体であるところに理由があるのだと思うが,(一種の渋滞がおきているのかもしれない)何が本質的な原因なのかわからない。一体水のエネルギーは何によってどこに流れているのだろうか。

大学祭でクラスで模擬店を出した。その準備に追われて何かと慌しかった。土日も早朝出発深夜帰宅となりそう。月曜日には授業が詰まっているのだがその準備が全然できていない。さてどうしたものか…